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【社長ブログ183】令和5年 新年を迎えて

2023年1月1日

謹んで新春のお慶びを申し上げます。旧年中は格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。
昨年も多くの弔いと供養をお手伝いさせて頂きました。
ご不幸にあわれたお客様を少しでも支えてお役に立てればと、社員一同精神誠意努めてさせてもらいましたが、今年もさらに精進していく所存であります。本年もよろしくお願いいたします。

さて、新型コロナウィルスの脅威が未だ収ま丸ことなく、世界では長引く争いや自然災害の影響で、原材料価格の急騰や資材調達の停滞などがおこり、日本国民をはじめ弊社を取り巻く環境も大きく影響を受けた1年となりました。
萎縮・・・そんな言葉が頭をよぎります。
物価も高いし、人も集まらないし、簡素に簡単に葬儀を済まざるえない・・・
そのようなマインドになってしまうのも止む得ないのかもしれません。
しかし、葬儀をそのような事由から「やりたくないけど、やらざるえないこと」として迎えることにしまっていいのでしょうか。
そのような警鐘がガンガン頭で鳴る1年、振り返って葬儀を携わる会社としてその存在理由を問われる1年だった気がします。

昨年、ある葬儀社の社長が、遺族へ葬儀というものの大切さを訴えている例えが記憶に残りました。
「故人は皆さん子供たちに七五三、入学式など様々な儀式(セレモニー)をやってくれたと推察します。最後、故人への儀式は子供たちがやってあげましょうよ」
また、他の葬儀社の社長もこんなことを言っていました。
「葬儀は葬る式と書きます。葬る式はお経をあげる式ではなく、古来から亡くなった人に別れを伝えたり、感謝を伝えたりすることです」
お葬式というと宗教者が主催の儀式が中心となります、成仏、または天国に向かうように祈る宗教儀礼は大切ですが、
合せて遺族が故人へ思い出を語り、感謝に思いをはせることが大切なのではないでしょうか。

昨年読んだ五木寛之氏の本に「私は人生で2度自殺を考えたことがある」というカミングアウトに驚きました。
しかし続く文面、「命というものは自分だけのものではないのだ」という言葉に救われる。
今自分があるのは両親がいたからであり、そのまた両親がいたからである。
彼らが自らの命を粗末にしたら、今の自分は存在し得なかったはずだ。
両親もそのまた両親も、そのまた両親も・・・苦しいことツライこともあったはずだが命を絶つことはなかった。
こうして連綿を連なってきた命のリレー、両親、先祖への存在に感謝することを想いおこすことを書いていました。

ここ数年、インターネットを媒介とする「葬儀仲介業」が市場を席捲しています。
彼らは遺体に触れることもなく、まして悲嘆に泣く遺族に向き合うことなことなく、葬儀という商品を斡旋しているだけです。
そしてその下請けとして個人事業主が安価な料金で葬儀を請負い、いきおい粗雑な葬儀になっているのが現状です。
こうした現状をつくりだしてしまったのは、地域の葬儀社と宗教者の責任であると自戒しています。

会社を営んでいる以上、社員や家族、取引先のことを考え、利益を考えながら経営していかなければなりません。
しかし葬儀という本質が、故人を弔い、遺族が感謝を伝え、命というものを顧みるものだというならば
営利を超えた存在理由、事業を行う理由があるはずだ、と思うのです。

社長の仕事は会社を成長させることが第一、ではありません。
会社を継続させること、そこで働く社員が安心して勤められ、お客様に喜ばれるサービス(商品)を安定して供給続けることです。
おかげさまで当社は明治から創業し今に至っているのも、そのような信念をもって臨むことでステークホルダーから支えられきたのだと確信しています。

葬儀をとりまく環境・・・お客様の考え、宗教の意義、そして葬儀社の収益構造はさらに厳しく変わるでしょう。
だかこそ、地域の葬儀社の存在理由、そして継続される理由といものが問われるときかもしれません。
時代の激しい流れの中で、株式会社ヨコカワとして進化するべきもの、変えずに未来へ繋げていくものを吟味し、スタッフ一同、微力ながら今私達に出来ることを一所懸命に努めて参る所存です。 本年も変わらぬご愛顧のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

行田セレモニーグループ/家族葬のファミール
株式会社ヨコカワ 代表取締役 横川英士


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