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お葬式と終活の豆知識

ファミール独自インタビュー|埼玉県行田市城西のお寺情報4選

2021年8月8日

(株)ヨコカワのスタッフが、行田市内の寺院を訪問し取材し発信していく「行田市のお寺情報」。今回は、行田市城西のお寺情報をご紹介します。

 

①「専勝寺」真宗大谷派(東) 恵日山玄照院

行田市のお寺の中で唯一の浄土真宗大谷派(東)

数ある行田のお寺の中でも、浄土真宗大谷派(東)は専勝寺の1件のみ。第二代住職、釈玄昌法師記述の古文書によると、開祖されたのは、織田信長と本願寺顕如が対立し、摂州石山本願寺で合戦が始まった天正年間。

 

毛利水軍の大将として活躍していた藤井太郎右衛門という武将で合戦後、子の政吉共々武州に下り、遠縁の忍藩家老、藤井玄蛮のもとに身を寄せ、真言宗覚照法師に従い出家。

 

真言宗の当家に入りますが、内心他力易行の念強く、覚照法師遷化の後浄土真宗に転派し、末子正吉釈教恵玄廣の法名をもって、文禄四年(1595年)開基となりました。

 

▲本尊阿弥陀如来像

 

以来400年以上にわたり、藤井家は代々世襲し法灯を守り続けて現在に至っており、忍城落城までは武士の寺で、忍藩士の檀家を持っていたそうです。

 

寺宝として伝わる聖徳太子像は、栃木県に移転した中村寺から、専勝寺に奉安したもの。以前は大正8年に檀信徒の寄進によって建立された太子堂に安置されていましたが、昭和53年に老朽により取り壊され、現在は本堂内に安置されています。

 

▲聖徳太子像

 

現住職は藤井顕広氏。今回、実際の古文書なども拝見させていただき、本堂内も1つ1つ丁寧に案内してくださいました。

 

歴史を重んじ開基から現在まで、代々藤井家の方々が大切に受け継いできていることが良く分かりました。

 

真宗大谷派 専勝寺

埼玉県行田市城西3-7-12

℡048-556-4054

 

②「常慶院」曹洞宗 大用山

大変貴重な愚禅和尚(金沢大乗寺禅師)の扁額のある常慶院

 

慶院が開基されたのは、文亀元年(1501年)。忍城主、成田顕泰の娘「都留(つる)姫」により建立されました。本尊には、願王地蔵菩薩(天正13年=1585年作)が祀られており、市の文化財に指定されています。

 

 

他にも、室町後期作の韋駄天菩薩が安置されています。本堂は260年前に建立され、禅式様式です。

 

 

山門は文化年間(1804~1818年)に建立され、愚禅和尚(金沢大乗寺禅師)の扁額は、大変貴重な扁額です。

境内には、冬には「梅」、春は「桜」、初夏には「さつき」「蓮」、初秋には「銀杏」「ケヤキ」の紅葉が見られ、四季それぞれの風情が楽しめます。

 

映画「のぼうの城」の中で、山口智充が演ずる侍大将の柴﨑和泉守は、常慶院を開基した都留姫(1516年没)の家司(姫の守り侍)柴﨑六兵衛の子孫であり、和泉守は水攻めの際大活躍する侍大将です。

 

 

代々寺の境外に屋敷があり、今でも柴﨑屋敷として云い伝えられており、柴﨑家の石塔四基は、無縁塔の中に葬られております。過日、新墓地造成が終了し、各種240区画の墓地が確保できました。

 

是非御来寺賜り、御見学下さいますよう、御住職が申しておりました。

 

曹洞宗 常慶院

行田市城西

℡048-556-0066

 

③桃林寺 臨済宗妙心寺派 天童山

永代供養を望まれる方は、特にオススメの桃林寺

桃林寺(とうりんじ)は臨済宗妙心寺派(京都市右京区花園妙心寺町)に属し、本尊は聖観世音菩薩坐像 開基は藩祖 松平下総守源忠明公・大和国郡山時代元和五年(1619年)の創建。開山は大本山妙心寺龍泉派下松隠宗嶽禅師で勅諡され真覚諦観禅師の号が与えられました。また、長篠の合戦で有名な鳥居強右衛門一族の菩提寺でもあります。

 

徳川家康の長女亀姫は永禄三年(1560年)六月四日駿河に生まれ、母は家康の正妻、駿河御前(のちの築山御前)です。亀姫は永禄五年、岡崎城に移り、天正四年(1575年)十七才の時に奥平氏六代奥平信昌と結婚し妻となりました。 奥平氏は、現在の群馬県甘楽郡吉井町下奥平の出身で、六代貞昌は織田信長から一字をもらい受けて「信昌」と改名し、天正四年(1576年)新城城(現在の愛知県新城市)を築き、新城での生活は十五年間でしたが、信昌と亀姫との間には子供が五人、その子家昌・家治・忠政・忠明と一女(千姫)の皆が新城で生まれています。

 

亀姫は、とても賢かった次男家治(当時十才)を連れて、駿府の徳川家康のところへ行き、家康にも気に入られ、天正十六年養子となり、「奥平」から「松平」の姓を名のり、群馬県上州甘楽郡の七千石を与えられ大名となりました。 しかし、その四年後、文禄元年三月に十四才で病死してしまい、四男忠明公(同、家康の養子となる)は元和五年(1619年)松平総守源、藩祖となり、兄家治の供養の為に開基となり、一寺を建立し、愛しくも十四才での生涯「普く天の童」として山号を「天童山」とし、桃林寺と命名されました。

 

家治公座像

 

松平下総守は、文政六年(1823年)武蔵野国忍(現行田市)へと寺と共に移封し、明治維新まで四十五年間藩主を勤め、今日に至る間、389年の法灯を継承された徳川縁の名刹寺院です。

 

 

今回取材の際に、実際の家治公御影の掛け軸も拝見させていただき、中川忠昭住職からも貴重なお話をたくさん伺う事ができました。

 

 

桃林寺の山門をくぐると、正面に観音像があります。観音様の光背は一円相にも似た円光です。一円相は時として見る者の鏡になるとも云われています。

 

 

本堂前には「観蓮庭」があり、行田市指定天然記念物の古代蓮の他にも数種類の蓮が栽培されており、不老長寿・無病息災・世界平和を祈願する意味が込められているそうです。

 

年間行事としては、毎月第2・第4土曜日の早朝に(4月~11月は午前6時より、12月から3月は午前7時より)座禅会が開催されており、約40分間の座禅後、茶礼を頂き下山となります。

 

お彼岸、お中日にはお茶会が開催されており、ご先祖参りとご一緒に桃林寺の庭を眺めながらのお抹茶での一服、安らぎの時間を過ごすことができます。また、嘉永年間作成の「涅槃図」が奉納されており、年に1度、2月に涅槃会法要が行われており、法要後には涅槃図の解説と法話もおこなわれるとの事です。

 

 

昨今の少子高齢化に伴い、ご先祖供養が継承されず不安を抱く方や、またはさまざまな事情により永代供養を望む方が増えている現状を受け、未来永劫、末永く供養していただけるよう、「六角永代供養塔」が建設され、平成25年11月25日に完成落慶開眼法要が修業されました。

 

生前にご本人様のご希望がある場合や、ご遺族様のご意向があれば、ご住職と相談の上、遺骨を六角永代供養塔に合祀納骨し、桃林寺住職が管理者となり、永代に亘って供養するという目的で建てられたものです。年間行事や、その他ご質問等がありましたら、直接、桃林寺にお問い合わせください。

 

臨済宗 桃林寺

行田市城西

℡048-556-2808

 

④阿弥陀寺 時宗

行田で唯一の時宗(じしゅう)、阿弥陀寺

行田で唯一の時宗(じしゅう)である阿弥陀寺は、永仁二年(1294年)に遊行二祖他阿上人が開山。正長元年(1428年)道阿再興。以来700有余年、持田の念佛道場として今日に及んでおり、境内には秩父線持田駅が有り、ホームからは平成3年5月24日に落慶した本堂の高い屋根瓦が見えます。

 

 

現住職は、第52世 村上義信 住職。本尊は阿弥陀三尊立像で、中尊阿弥陀如来は鎌倉時代の様式を残した像高79㎝寄木造りの漆箔玉眼入り細身の八頭身に近い姿の像で、市の指定文化財になっており、上品下生の印相をして腰をかがめた観音勢至の脇侍を従え来迎の姿を表しています。

 

 

また、本堂の前には、時宗の開祖である一遍上人の像があります。一遍上人は、延応元年(1239年)愛媛県松山の豪族、河野家の一族の後継ぎとして産まれ、10歳の時に母親を亡くしました。

 

その後、信仰心の厚い父親のすすめにより仏門に入って修行を始め、36歳から51歳で亡くなるまでの約15年間、賦算(身分など関係なくすべての人、行きあう人ごとに念仏の札を与えて、一遍の念仏に結縁させる事)の旅に時衆たちと共に全国各地を遊行。

 

また一遍の念仏で極楽住生できると約束された喜びを表現したのが「踊り念仏」で、興奮の末に煩悩を捨て心は仏と一つになると民衆に勧めました。

 

時宗 阿弥陀寺

行田市城西

℡556-0468

 

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