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お葬式と終活の豆知識

ファミール独自インタビュー|行田市長野・坂巻・北河原のお寺情報3選

2021年8月11日

(株)ヨコカワのスタッフが、行田市内の寺院を訪問し取材し発信していく「行田市のお寺情報」。今回は、行田市長野・坂巻・北河原のお寺情報をご紹介します。

 

①成就院 真言宗智山派 五智山

江戸時代の貴重な三重塔が引き継がれている成就院

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成就院は『天正年間 (1573』に敒宥和尚(ちんゆうわじょう)が開山。忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。

 

現住職は第二十一代目新井尚義住職です。成就院の山門をくぐると左手に三重塔があります。高さは約11メートル。一間(約1.8m)四面の美しい朱色の小柄な塔です。享保14年(1729)地方の宮大工の手によって建立された非常に特色ある作りで、境内にその構造を解説しています。

 

一間四面、初重柱間一間、銅瓦棒葺の構造となっています。各層とも二手先の料栱、吹寄棰、一軒、重箱型の積み上げで、塔の中心柱は二層で止めて下に降ろさず、内陣には須弥檀を設け、格天井を組み、花鳥の図を飾っています

 

住職に案内されて塔内に入ると、左右の壁板には解説のとおり牡丹・唐獅子が描かれて、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

 

享保時代の強い観音信仰を背景に建立されたものと思われ、江戸時代の三重塔は県内には、吉見町の安楽寺、川口市の西福寺とこちらの三基のみでいずれも県指定有形文化財です。現在の本堂は現代の日本を代表する宮大工(小川三夫氏)の弟子が手掛けて、平成11年に完成したとのこと、細かな技術が引き継がれている様子が見てとれました。

 

塔の由来

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塔内本尊「葉衣観音」様は、昔、忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏であったと伝承されています。塔は、補陀閣(観音様をお祀りする塔)として、享保時代の強い観音信仰を背景に建立されたものです。

 

この塔は一地方寺院が地方宮大工の手で建立した珍しい塔です。心柱が二層で止めてあるのも特殊な構造で、四年前の東日本大震災にも耐えられた地震に強い構造になっています。心柱のてっぺんにある輪(宝倫)は、9つあり、輪の下のところはお骨を祀る部分とも言われています。

 

佛塔の歴史

もともと佛塔はお釈迦様のお骨を埋葬した墓(スツーパ・卒都婆・卒塔婆)が起源です。土まんじゅうの様式は周辺に伝わり、北方へは中央アジアを経て、中国に伝来し木造楼閣型となり、さらに朝鮮を経て、飛鳥時代日本に渡来して日本的な塔となって、今日に及んでいるのです。塔は三重塔・五重塔・多宝塔が一般的です。

 

https://www.famiru.jp/cms/wp-content/uploads/IMG_0784後編・子育て観音02-480x384.jpg

子育て観音

 

塔内には、葉衣観音様と一緒に、子育て観音様もお祀りしています。昔から、我が子の健全な成長を願ってお参りする人々は〝櫛の歯を挽くが如く〟たえなかったと伝えております。両観音様は、脇寺の胎蔵界・金剛界両界五如来様に護られて、誓願をかなえてくださいます。

 

取材を終えて帰る際遠くから塔全体を見ると、かわいらしさと深みがでていました。

 

真言宗 成就院

行田市長野

℡048-559-0360

 

 

②浄土宗 慶岩寺 (けいがんじ)

天正十年(1582年)岌誉上人によって開山される。かつては利根川沿い(今の酒巻利根グランド付近)にあったが、大正2年~4年に及ぶ利根川河川改修の際、付近にあって廃寺となった常照寺の跡に移転し、現在に至ります。

一遍が在世中(1287年)に造られた踊念仏板碑が寺宝としてあります。また、幕末~明治維新の偉人である山岡鉄舟の書いた名号額、院号額が残されてあって、かつてこの地が上州(群馬)と武州(埼玉)を結ぶ利根川の舟宿場で栄えていたことを偲ぶことができます。

 

現住の廣誉上人の代では、常照寺時代の真言宗仏像を含めた仏像・寺宝の修復、本尊額の制作、本堂の冷暖房完備、墓地の区画整地など近代化が進められています。

 

そして、境内には「ぴんころ地蔵」(通称:PPK地蔵)を落成。やさしく微笑みながら、頬に右手を添えた愛らしい姿のお地蔵様。健康で天寿を全うする意味の「健康で長生きし(ぴんぴん)、寝込まずに楽に大往生する(ころり)」から命名され、人の一生の理想がこの御地蔵様に掲げられています。

 

  

また、現在増えつつある少子高齢化や、「おひとりさま」に対応した小規模な墓地完成。後継ぎがいない「夫婦のみの墓地」にも対応。長く勤め人の経験もした現在の住職は、時代や環境の変化にも柔軟に対応し、地域の人たちの為に日々邁進しております。

 

慶岩寺

埼玉県行田市酒巻1862

℡048-557-0735

③照岩寺 臨済宗 泉福山瑠璃光院

武蔵武士の勇敢さがルーツの寺臨済宗・照岩寺

平安時代、この地域を支配いていた豪族である河原太郎高直・同次郎忠家兄弟は、安元二年(1176年)蒲の冠者範頼の陣に加わりました。源平一の谷の合戦生田の森(現在の神戸市)の戦いでは、源氏方の先陣の功をたて、壮絶な戦死を遂げた活躍が伝えられています。

 

平家の陣にたった二人で真っ先に討ち入り、武蔵武士の勇敢さを示したものとして讃えられました。両人の後見人でもあった森道本入道が兄弟の討死後、その遺体を摂津の国に葬り、郷里である当地に寺を建立したのが、照岩時の創立と伝えられています。

 

河原兄弟・森和泉入道道本の供養塔

 

河原兄弟の位牌

昭和62年、現住職の普山式に合わせ河原氏の菩提寺として、兄弟の800年・中興開山の600年を記念し、河原氏兄弟塔と家臣森和泉入道道本の供養塔を建立しました。慶安二年(1712)徳川三代将軍家光より寺領十二万石の御朱印を賜り、明治元年には本堂前に松尾芭蕉俳句碑が建立されました。

 

こちらの薬師堂の近くには、樹齢800年と言われる杉の木があり、その奥の山門の下には優しい顔した「ほほえみ地蔵」が参拝者を出迎えます。

 

最後は御住職と記念撮影。住職御自身が終始「ほほえみ地蔵」のように優しい顔をしながら、丁寧に寺院内を御案内頂きました。有難うございました。

照岩寺(しょうがんじ)

行田市北河原736

℡048-557-0354


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