実績と絆

【行田市のお葬式】母校カラーの花祭壇で心を一つに

2021年3月14日

人の数だけ葬儀があるように、全く同じ葬儀などありません。葬儀の本質をしっかりと捉えつつ、その人らしさ溢れるオンリーワンの葬儀を、家族の方と共に創造していくことこそ、まさに心を紡ぐ葬儀であると考えます。今回は、ソウル五輪に陸上競技男子100m走に日本代表として出場し、陸上と日々向き合ってきたO氏のお葬式エピソードをご紹介します。

 

陸上に情熱を注いでいたO氏

1998年、ソウル五輪に陸上競技男子100m走に日本代表として出場したO氏が、4月ご逝去され当社にて葬儀のお手伝いをさせて頂きました。鴻巣市(旧吹上町)出身であり、県立松山高校時代には全国インターハイにて優勝。早稲田大学時代にソウル五輪に出場。卒業後も同大学陸上競技部のコーチとして、アトランタ五輪やアテネ五輪に出場した選手をはじめ、多くの後輩の指導にあたってきましたが、がんを患い、47歳の若さでの旅立ちでした。

 

母校への強い想いがO氏らしい祭壇のヒントに

ご家族の方と打ち合わせを進めていくうちに、O氏の母校への強い想いを感じ、生花祭壇をO氏らしさを出そうと、早稲田大学のマークをイメージした生花祭壇を作製しました。早稲田大学といえば、エンジ色に「W」のマーク。エンジ色はダリアの花を、Wの文字は白菊とピンポンマムで形を作りました。ご家族の方々には大変喜んでいただき、御本人の御友人や大学仲間、教え子の方々が、「O氏らしい」と共感頂いた祭壇となりました。

 

また、ご家族や関係者からご提供頂き、O氏のオリンピックやインターハイ出場の際の写真や当時のメディアの記事、賞状やトロフィーなどが、数多く飾られるだけでなく、母校の応援旗やO氏本人が着用していたユニフォームなど、多くのゆかりの品を、式場ロビーに飾らせて頂きました。

 

母校の校歌の歌に包まれる中で

ご家族や関係者の御協力のもと、会葬者がO氏の素晴らしい功績と、まさに短くとも全力で走り抜けたO氏の人生を称え、そしてO氏を偲ぶ空間を創出することが出来ました。実際の通夜及び告別式の際は、本当に大勢の会葬者で式場は溢れました。

 

O氏らしさ溢れる葬儀に、会葬者全員がO氏の人生や思い出に共感し、ご家族も会葬者も大変満足された葬儀の場を創出することができました。最後の早稲田大学の関係者が肩を組み、早稲田大学の校歌が歌われる中での出棺となりました。

 

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