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お葬式と終活の豆知識

【行田市のお寺情報】見事、復興再建を果たした臨済宗妙心寺派・天祥寺

2021年4月3日

(株)ヨコカワのスタッフが、行田市内の寺院を訪問し取材し発信していく【行田市のお寺情報】。今回は埼古墳公園入口にある天祥寺(てんしょうじ)を御紹介させて頂きます。

天祥寺 臨済宗妙心寺派 海東山

江戸時代初期の寛永年間、和州郡山にて創建され開基は松平忠明公です。その後、松平家の移封毎に寺も転じられ、文政六年(1823年)の桑名から忍藩への移封が最後となります。現在地に天祥寺が建立されたのが天保八年(1837)。この地で明治維新を迎えます。

 

墓地には忍城主が眠っている

明治維新を迎えると、栄華を誇った松平家菩提所は、廃仏毀釈・廃藩置県等の影響もあり衰退します。明治六年には、忍城取り壊しと時を同じくして、庫裡・長屋門を残して取り壊されました。

 

元来松平家と十数軒の家老武士によって護持されてきた天祥寺でしたが、松平家をはじめ其の殆どが寺を離れ、第二次大戦後にはすっかり荒廃し無住に。墓地は草に埋もれ、山門は崩れ、庫裡は傾き、廃寺寸前となりました。

 

昭和51年、開基を同じくする京都花園の天祥院の当時住職であった釈浩堂和尚は、天祥寺に墓参りに来た際にあまりの荒廃ぶりに唖然としたそうです。

 

先代住職の故・釈浩堂和尚

「このままでは寺が潰れる」と、本山妙心寺の法務部長という要職も辞し、自費を投じて天祥寺の再建に取り掛かりました。「私が今やらなければ誰かがいつかやらなければならない。故に、私に出来ることは私がやる。この由緒深い寺を不自由ない寺にしたい」との一念で、京都の檀家からは戻れ戻れと矢の督促も聞こえないふりをして、再建に力を注がれました。

 

足の踏み場もないほどのゴミや雑草木。あばら家へ住んでいた住職の布団の中に蛇が入り込むこともしばしばだったそうです。それから30余年、境内地も整備され、本堂・客殿も落慶。檀家も年々増え、天祥寺は一人の老僧と多くの縁者によって見事復興再建を果たしました。

 

中興の祖として仰がれる釈浩堂和尚は、平成22年106歳の長寿を全うし遷化(他界)されました。現住職の義寛和尚は浩堂和尚の孫にあたり、前住職である浩堂和尚の志を受け継ぎ、再建された天祥寺を守っておられます。取材させて頂き、檀家様との繋がりが深い様子が良くわかりました。

 

臨済宗妙心寺派 海東山 天祥寺(てんしょうじ)

埼玉県行田市埼玉5209

℡048-559-1031


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