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お葬式と終活の豆知識

【行田市のお寺情報】永代供養を望まれる方は、特にオススメの桃林寺

2021年4月15日

(株)ヨコカワのスタッフが、行田市内の寺院を訪問し取材し発信していく【行田市のお寺情報】。

桃林寺 臨済宗妙心寺派 天童山

桃林寺(とうりんじ)は臨済宗妙心寺派(京都市右京区花園妙心寺町)に属し、本尊は聖観世音菩薩坐像 開基は藩祖 松平下総守源忠明公・大和国郡山時代元和五年(1619)の創建。開山は大本山妙心寺龍泉派下松隠宗嶽禅師で勅諡され真覚諦観禅師の号が与えられました。また、長篠の合戦で有名な鳥居強右衛門一族の菩提寺でもあります。

徳川家康の長女亀姫は永禄三年(1560年)六月四日駿河に生まれ、母は家康の正妻、駿河御前(のちの築山御前)です。亀姫は永禄五年、岡崎城に移り、天正四年(1575年)十七才の時に奥平氏六代奥平信昌と結婚し妻となりました。

 

奥平氏は、現在の群馬県甘楽郡吉井町下奥平の出身で、六代貞昌は織田信長から一字をもらい受けて「信昌」と改名し、天正四年(1576年)新城城(現在の愛知県新城市)を築き、新城での生活は十五年間でしたが、信昌と亀姫との間には子供が五人、その子家昌・家治・忠政・忠明と一女(千姫)の皆が新城で生まれています。

 

亀姫は、とても賢かった次男家治(当時十才)を連れて、駿府の徳川家康のところへ行き、家康にも気に入られ、天正十六年養子となり、「奥平」から「松平」の姓を名のり、群馬県上州甘楽郡の七千石を与えられ大名となりました。

 

しかし、その四年後、文禄元年三月に十四才で病死してしまい、四男忠明公(同、家康の養子となる)は元和五年(1619年)松平総守源、藩祖となり、兄家治の供養の為に開基となり、一寺を建立し、愛しくも十四才での生涯「普く天の童」として山号を「天童山」とし、桃林寺と命名されました。

家治公座像

松平下総守は、文政六年(1823年)武蔵野国忍(現行田市)へと寺と共に移封し、明治維新まで四十五年間藩主を勤め、今日に至る間、389年の法灯を継承された徳川縁の名刹寺院です。

 

今回取材の際に、実際の家治公御影の掛け軸も拝見させていただき、中川忠昭住職からも貴重なお話をたくさん伺う事ができました。

桃林寺の山門をくぐると、正面に観音像があります。観音様の光背は一円相にも似た円光です。一円相は時として見る者の鏡になるとも云われています。

本堂前には「観蓮庭」があり、行田市指定天然記念物の古代蓮の他にも数種類の蓮が栽培されており、不老長寿・無病息災・世界平和を祈願する意味が込められているそうです。

年間行事としては、毎月第二・第四土曜日の早朝に(四月~十一月は午前六時より、十二月から三月は午前七時より)座禅会が開催されており、約四十分間の座禅後、茶礼を頂き下山となります。

 

お彼岸、お中日にはお茶会が開催されており、ご先祖参りとご一緒に桃林寺の庭を眺めながらのお抹茶での一服、安らぎの時間を過ごすことができます。また、嘉永年間作成の「涅槃図」が奉納されており、年に一度、二月に涅槃会法要が行われており、法要後には涅槃図の解説と法話もおこなわれるとの事です。

 

昨今の少子高齢化に伴い、ご先祖供養が継承されず不安を抱く方や、またはさまざまな事情により永代供養を望む方が増えている現状を受け、未来永劫、末永く供養していただけるよう、「六角永代供養塔」が建設され、平成25年11月25日に完成落慶開眼法要が修業されました。

生前にご本人様のご希望がある場合や、ご遺族様のご意向があれば、ご住職と相談の上、遺骨を六角永代供養塔に合祀納骨し、桃林寺住職が管理者となり、永代に亘って供養するという目的で建てられたものです。年間行事や、その他ご質問等がありましたら、直接、桃林寺にお問い合わせください。

 

臨済宗 桃林寺

行田市城西

℡048-556-2808


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