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【心を紡ぐお葬式】母校カラーの花祭壇

2016年10月16日
【心を紡ぐお葬式】母校カラーの花祭壇

人の人生を、
血縁や地縁など様々な「縁」という糸で紡がれた織物に例えるなら、
」の命の灯が消えたとき、
家族や親しかった方たちが集まり、
思い出」を語り、感謝の気持ちで送りだす――。
お葬式とは、それがその人の「人生」という織物の最後を紡いで結ぶ大切な儀式です。
行田セレモニーでは、お葬式を「ただの儀式」で終わらせることなく、
心を紡ぐお葬式」をテーマに、お客様へ様々な提案をさせて頂いております。
ここでは、当社で提案させて頂いた「心を紡ぐ」事例の紹介をさせて頂きます。
《心を紡ぐプロジェクト会議 櫛引浩士》

1988年、ソウル五輪に、
陸上競技男子100m走に日本代表として出場したO氏が、四月ご逝去され、
当社にて葬儀のお手伝いをさせて頂きました。
鴻巣市(旧吹上町)出身であり、
県立松山高校時代には全国インターハイにて優勝。
早稲田大学時代にソウル五輪に出場。
卒業後も同大学陸上競技部のコーチとして、
アトランタ五輪やアテネ五輪に出場した選手をはじめ、
多くの後輩の指導にあたってきましたが、
がんを患い、四十七歳の若さでの旅立ちでした。
家族の方と打ち合わせを進めていくうちに、
O氏の母校への強い想いを感じ、
生花祭壇をO氏らしさを出そうと、
早稲田大学のマークをイメージした生花祭壇を作製しました。
早稲田大学といえば、エンジ色に「W」のマーク。
エンジ色はダリアの花を、
Wの文字は白菊とピンポンマムで形を作りました。
10A

家族の方々には大変喜んでいただき、
御本人の御友人や大学仲間、教え子の方々が
「O氏らしい」と共感頂いた祭壇となりました。
また、家族や関係者からご提供頂き、
O氏のオリンピックやインターハイ出場の際の写真や当時のメディアの記事、
賞状やトロフィーなどが数多く飾られるだけでなく、
母校の応援旗やO氏本人が着用していたユニフォームなど、
多くのゆかりの品を、式場ロビーに飾らせて頂きました。
10B

家族や関係者の御協力のもと、会葬者がO氏の素晴らしい功績と、
まさに短くとも全力で走り抜けたO氏の人生を称え、
そしてO氏を偲ぶ空間を創出することが出来ました。
実際の通夜及び告別式の際は、
本当に大勢の会葬者で式場は溢れました。
家族や関係者と創出したO氏らしさ溢れる葬儀に、
会葬者全員がO氏の人生や思い出に共感し、
家族も会葬者も大変満足された葬儀の場を創出することができました。
最後の早稲田大学の関係者が肩を組み、
早稲田大学の校歌が歌われる中での出棺となりました。

人の数だけ葬儀があると言われています。
全く同じ葬儀などありません。
葬儀の本質をしっかりと捉えつつ、その人らしさ溢れるオンリーワンの葬儀を、
家族の方と共に創造していくことこそ、まさに葬儀心を紡ぐ場であると考えます。
これからも㈱ヨコカワは、御家族を中心にご提案させて頂き、
このBlogでもまた報告させて頂きます。
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